|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 協 : [きょう] 1. (n-suf,n-pref) cooperation ・ 協奏曲 : [きょうそうきょく] 【名詞】 1. concerto ・ 奏曲 : [そうきょく] (n) (abbr) sonata ・ 曲 : [きょく, くせ] 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 番 : [ばん] 【名詞】 1. (1) watch 2. guard 3. lookout 4. (2) bout, match (sumo) 5. (3) (one's) turn
ピアノ協奏曲第3番 変ホ長調 遺作(S.125a)は、フランツ・リストが作曲したピアノ協奏曲。 == 概要 == この曲は先の2つのピアノ協奏曲よりも早い時期に作曲されたと考えられており、1839年の作という可能性が挙げられるが、1847年にようやく完成したという説もありはっきりしない。彼の「ピアノ協奏曲第2番」と同様に単一楽章で書かれている。 この曲は1989年にシカゴ大学の博士大学院生だったジェイ・ローゼンブラット(Jay Rosenblatt)が、多くの楽譜を整理して同定するまでほとんど忘れられていた。楽譜の断片はヴァイマル、ニュルンベルク、レニングラードなどに散り散りになっており、全く知られていない状態だった。それらは同じく変ホ長調で書かれた「ピアノ協奏曲第1番」の初期の草稿だと考えられていたのである。リストは書簡などで一切この曲について触れておらず、その存在は研究者に知られないままとなっていた。 リストが他界した時、彼の家の家政婦が弟子たちが家の中に立ち入って原稿を形見として持ち出すことを許可した。それらは必ずしも1曲まるごとというわけではなかった。ニュルンベルクの草稿は、〔訳注:ドイツ、テューリンゲン州の町。エアフルトから50km北にある。〕のカペルマイスターだった時にリストと交際するようになったマックス・エルトマンスデルファーのものだった。彼は1882年にモスクワでカペルマイスターとなっている。彼が全曲の楽譜を持ち出していたが、何らかの事情で死後その一部がレニングラード図書館で発見されたという可能性も考えられる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアノ協奏曲第3番 (リスト)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|